普門館の解体が決定。吹奏楽の聖地の歴史と功績を振り返る!

普門館の解体が決定。吹奏楽の聖地の歴史と功績を振り返る。

2018年3月22日、わかっていたけれども、、ついにきてしまったか、、というニュースが。

吹奏楽の聖地であり、「吹奏楽の甲子園」とも呼ばれ愛された普門館。

2011年のコンクールを最後に、耐震性の問題からホールの使用が中止されていましたが、ついに解体が発表されました

吹奏楽民の憧れの場所であり続けた普門館、感謝の気持ちを込めて、歴史と功績を振り返ってみたいと思います。

日本最大級のホール普門館の誕生

普門館は仏教の在家団体「立正佼成会」が所有するホールです。

「佼成」とくると吹奏楽民ならピンとくるかもしれませんが、日本のトップ吹奏楽団、東京佼成ウインドオーケストラの本拠地でもありました。

1970年4月28日に落成し、美空ひばりさん、森進一さん、日本フィルハーモニー交響楽団などがこけら落としを行いました。

普門館は、そのサイズの大きさでも知られ、定員4,702名(1階席3,150席、2階席1,552席)、消防法上の定員は5,082名という国内最大級のキャパシティ誇りました。

吹奏楽コンクール全国大会と普門館

吹奏楽コンクール全国大会が普門館で初開催されたのは落成2年後の1972年。1973年~1976年は別会場に移りましたが、1977年以降、2011年まで、長きにわたり普門館で開催されました。

吹奏楽コンクールには、複数の部門がありますが、普門館で開催されたのは、中学の部と高校の部

中高生が青春をかけて打ち込む吹奏楽コンクールの会場だったことから、「吹奏楽の甲子園」とも呼ばれ、全吹奏楽民の憧れであり、目標でもあり、ここで数々の名演をが生まれました。

ちなみに東京支部では、中学の部の予選や、中学の部、高校の部の都大会でも使用されていました。

舞台で顔が映えるようにつくられた「黒色の床のステージ」も有名で、記念品として普門館の床(縦4センチ、横2センチ、厚さ5ミリほど)が出場者に配られたこともあったようです。

普門館で行われた数々の公演

普門館は吹奏楽以外にも多くの公演が行われました。

伝説的指揮者カラヤン率いる世界最高峰オーケストラであるベルリンフィルも1972年と1979年、1984年に公演。

1979年の普門館公演でライブ収録された、カラヤン指揮ベートーベンの交響曲第9番は、「普門館の第九」として語り継がれています。

その他にも、小沢征爾指揮、ボストン交響楽団日本公演やニューヨークフィル、ボリショイバレエ団などが公演。

クラシック以外では、さだまさしコンサート、森進一チャリティーショーなども行われました。

普門館の今後

解体後は緑地になるとのことですが、具体的な工事内容などについては、あらためて発表があるようです。

「緑地」という響きから、今後も吹奏楽民が思い出に浸ることもできる「憩いの場所」になるといいな、と妄想しています。

ということで、普門館の解体決定にあたり、普門館の歴史と功績を振り返ってみました。

まだ先になるかもしれませんが、解体後の普門館跡地も是非訪れてみたいと思います。

普門館今までありがとう!!

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